【タイ】古代が見たくてコークパノムディ遺跡へ

タイの歴史の現場を見に行くシリーズの第一弾は「コークパノムディ遺跡」です。紀行文っていうものを書いてみたいので、それっぽく書いてみましたが、これが正解なのかどうかは分かりません。

念のため、通常のブログ形式の文章も書きました。合わせてご覧ください。

【タイ】バンコクから日帰りできる古代遺跡!コークパノムディ遺跡

アユタヤ大洪水と「バンコク水没」

2011年、世界遺産の古都アユタヤなどを含むチャオプラヤー川流域で大洪水が発生した。当時は政治的な混乱が続いていた時期で、前政権が意図的にダムの放流を行わずに政権交代をしたのだという陰謀がまことしやかに噂されていた。アユタヤ近郊に工場を置く日系企業も多く、ホンダの四輪工場が洪水に沈んだことで日本での報道も過熱した。ホンダについて付け加えれば、「洪水被害によって工場のワーカー全員を即日解雇した」という根も葉もない情報が日本で報道されるなどの混乱もあった。

洪水発生当初、私はバラエティ番組の撮影補助をしていて、マシュマロキャッチか何かの馬鹿げた企画に真剣に取り組んでいたんだけど、それ以降の撮影の予定は全てキャンセルとなって、久しぶりにゆっくり休めるのかと思っていたら、朝の情報番組の取材協力の依頼をいただき、そのまま洪水の現場取材に明け暮れることになった。

すぐに洪水は収まるだろうと楽観的な予想でいたのに、私の勝手な想いとは裏腹にアユタヤの洪水はチャオプラヤー川に沿って南下し、バンコク北郊のドンムアン空港の滑走路にも数センチの水が貯まりはじめ、いよいよ首都バンコクが危ないのではないかという観測が流れ始めた。そんなタイミングでNHKが「バンコク水没」と報じた。

もちろん、ドンムアン空港もバンコクと言えばバンコクだ。だから「バンコク水没」という言葉に嘘はない。とはいえ、バンコク都心部のシーロムやアソークなどではなくバンコクの北の果てでの洪水被害を、このように報道する言葉遊びには怒りを覚えた。バンコク在住の日本人からも、NHKをはじめとした日本の報道機関の態度には多くの非難が寄せられたが、何も変わらなかった。いや、何も変わらなかったのは日本の報道機関の姿勢だけであって、バンコク在住の日本人らはSNSを使った実態報告を続け、報道と実際には大きな違いがあることを見せ続けた。あの頃が、報道の信頼性における分水嶺だったのだと思う。

バンコクの犠牲になった地域

結局のところ、バンコク中心部が水に沈むことは無かった。水が上から下に向かって流れるというのは世界の常識であり、アユタヤの下流にあるバンコクが洪水被害に遭うことも当然の成り行きかと思われたが、「バンコク水没」は回避された。当時の政府がどんなマジックを使ったのかと不思議に思うかもしれないが、その方法は極めて単純で、バンコクに向かって南に下ろうとする水を、バンコク北郊で東西に振り分けただけだった。

バンコク都民が洪水被害を免れたことを喜んでいた頃、洪水を押し付けられて想定以上の被害に苦しんでいた地域がある。そんな地域のひとつが、バンコク中心部からバンナー‐トラート道路を東進してチョンブリ県に入った辺りのエリアだった。アマタナコン工業団地の手前だと言った方が、理解しやすい人も多いかもしれない。行政区分で言うと、チャチュンサオ県とチョンブリ県の県境という説明になる。

真っ平らな平原にある小高い丘

話が脱線、いや、ここから初めて本題に入るんだけど、そんなバンコク中心部を洪水被害から救ってくれたチャチュンサオ県とチョンブリ県の県境に、今回の旅の目的地がある。バンパコーン川というチャオプラヤー川と比べれば随分と小ぶりな河川が南北に流れている。おそらく、このパンパコーン川が形成した扇状地なのだろう、周りは見渡す限りの大平原で、一切の大地の起伏が感じられない。こんな場所だからこそ、これが「丘」だと呼ばれるのだと理解できた。クルマで通り過ぎればきっと背丈の高い木々が密集しているだけにしか見えない。そんな程度の丘こそが、コークパノムディ遺跡である。

コークパノムディ遺跡からは、身体を伸ばした状態で葬られた人骨(伸展葬)が発見され、炭素14年代測定法によって紀元前2000年ごろのものであることが確認されている。つまり、日本で言えば古墳(墳丘墓)なんだけど、同遺跡の上には同じ名前の寺院が建っており、道路があって駐車場もあり、片側の斜面には地元のレストランも営業中である。さらに現在、人骨の採掘現場や作業工程などが分かる資料を展示する博物館が、古墳の上に建設中である。

コークパノムディ遺跡からの眺め

小さな丘の上から辺りを見下ろして(見渡して?)みると、田畑や荒れ地のなかに数多くの溜め池が確認できる。太古の昔から、この辺りには多くの水が、望むと望まざると流れ込んできたのだろう。そして、豊かな水資源を求めて集まった小さな集落が形成され、このコークパノムディに眠っていた人々の暮らしがあったことが想像できる。

考古学の観点からは、コークパノムディ遺跡にはベトナム中部や南部との文化的相関があり、後期新石器時代という時代区分になる。ただし、この文化の繋がりは、沿岸沿いを伝播したり、船によって海洋から伝わったものではなく、現在の中国の雲南省にあたる地域を起点としてベトナムとタイへそれぞれ伸びる河川によって結びついていたそうだ。だからきっと、この辺りで暮らしていた人々には、自分たちと同じ文化をベトナム人が持っているとは思ってもいなかっただろう。

「タイ人」ではない

東南アジアの歴史が面白いところは、国境が画定して国家が成立する時期が遅く、無数の民族が移動や栄枯盛衰を繰り返していることだ。コークパノムディ遺跡の遺骨が埋葬された頃、まだタイ王国を作ったタイ族は、この地域にはいなかった。だから、タイの首都からクルマで1時間ほどの距離にある遺跡であるものの、ここに眠る人々は「タイ人」ではない。さすが大陸、とても興味深い。

ちなみに、世界各国の通史をまとめた山川出版社の「世界各国史」シリーズでも、東南アジア史は「大陸部」と「島嶼部」の2冊が刊行されていて、現在の国ごとの各国史という色合いは極めて薄い構成になっている。つまり、大陸と島嶼の2つの文化圏には歴史的な相違があるものの、大陸であればベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマーについての個別の各国史を編纂することが困難であることを示している。

今後も、東南アジアにおける考古学研究は続けられ、様々な事実が明らかになっていくはずだが、民族の移動を含めた詳細な東南アジア史が完成する可能性は低いだろう。このコークパノムディのような遺跡が発見され、当時の生活の一部が垣間見えることはあっても、やはり全ては謎のままである。事実は全て謎のままって、ちょっとカッコ良い気がしてきた。

ただ、最後にひとつ言えることは、「バンコク水没」は事実ではないということだ。

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コークパノムディ遺跡の写真がたっぷりのブログ形式バージョンもあります!

【タイ】バンコクから日帰りできる古代遺跡!コークパノムディ遺跡

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タイ在住ブロガー。ここ最近は、ブログ「キャプロア」の復活作業に邁進中です。あと、夜の連続ブログ小説「この男、猥褻につき」ってのを書いてます。旧ブログは「キャプローグ」、旧旧ブログは「キャプログ」です。ブログで賞を貰ったことがあります。

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